天鼓記事(公開前)

■能「天鼓」について


-まずは、能「天鼓」についてお聞かせください


特徴的なのは羯鼓臺(かっこだい)という鼓を備えた台が、一番最初にまず舞台の前面に置かれます。
この台は最後まで同じ場所にあります。
前半は皇帝の絢爛壮大な宮殿の中、後半は天鼓が殺されて沈められた呂水のほとり、という二つの場面が、羯鼓臺を移動させることなく変わります。


前シテの天鼓の父である老人というのは、(参内せよと言われて)勅命に背いて鼓を献上しなかった息子である天鼓の罪について、自分に対しても罰が与えられのではとの恐怖感から、重い足取りで宮殿へ向かうんですね。
そして、どうしても鳴らない名器である鼓を、父親が打てば鳴るのではと、打つことを迫られます。
誰が打っても鳴らないものを自分が打ったところで鳴るわけがないと思いますし、鳴らなければ鳴らないで罰せられる、殺されるのではないかと考えて、びくびくしている。
その反面、もしこの鼓が鳴ったなら、殺された息子の声が聞こえるのと同じだ、息子の声を聞きたい、だから鳴ってほしいという気持ちもあります。
そういった、まるで綾織の様な複雑な思いをもって、たった一打ちするんです。
たった一度だけ。
それがポーンと響いて、またその音がとても妙なる音色なわけです。
それで帝が父親に数々の褒美、宝を取らせる、しかも自分が命じて殺した天鼓の追善供養もする、となります。

■「藤戸」との趣の違い


-権力の犠牲になって子供が殺されるといったあらすじは、他の曲にもありますね


「藤戸」という名作がありますね。
ですが「藤戸」とこの「天鼓」を比べますと、大きな違いがあります。
「藤戸」は母性の強さが何しろ際立っています。
権力者に訴えていく、相手の短刀を抜いて、もう殺すばかりの勢いでつかみかかっていく。
その母性の強さに対して、この「天鼓」は弱いんですね。
父親の弱さ、男の弱さと言いますか、立ち向かっていくんじゃなくて、自分も殺されるんじゃないか、罰を受けるんじゃないかと怖れている。
そこが「藤戸」との大きな差、つまり母性と父性の差が非常に際立っています。


というのも、この二曲は趣が全然違うんですよね。
「藤戸」は、完全な反戦というのをテーマにしたメッセージ性の強い曲であるのに対して、「天鼓」は天人の「音楽」というものが主題なんですね。
恨みとか怒りとかそういったものをクローズアップしない。


-帝に弔って頂いたから、恨みや悲しみが消えたのでしょうか?


いえ、この天鼓の亡霊は、親と死に別れた悲しみだとか自分が殺されたことでの帝への恨みだとかそういうものは一切無いんです。
ただただ楽しく嬉しく鼓を打つんですね。
天鼓自身の、再び鼓を打てる、音楽を奏でられる、ただひたすらその喜びだけを表現しています。


ですから人間の子ではなく、いわゆる天人なんだと言っても良いと思うんですよね。
本当の親子というよりも、天から授かった子供と仮の親として育てた人間の老人という関係だと、私は思いますよ。
天鼓は、母親が鼓が振ってくる夢を見て懐胎して生まれた子で、その後本当に鼓が振ってきて、その子が鼓を打つととても素晴らしい音楽を奏でる。
これはいわゆる天からの授かり子、音楽の申し子みたいな子供だったんですよね。
それが結局悲劇にあって殺されたんですが、亡霊になって現れても鼓を打つことが楽しい、音楽を奏でることが嬉しくてしょうがない、という状態なんですね。

■別人格を生きる


-前シテと後シテが全くの別人格ですが、(中入で)装束を変える時に気持ちを切り替えるのですか?


気持ちを切り替えるというのは、能楽師が非常に得意とすることです。
能の醍醐味でもありますね。
実際装束も効果はありますが、やはり一番は能面をつけるということです。
その人物が憑依するというと言い過ぎかもしれませんが、能面で全てを切り替えることが出来るんですね。


能面、「面(おもて)」、って言いますね。
つまり表側に出ているものということなんですよね。
裏側には役者の肉体があるわけです。
裏から我々が、技術を使って自分の体で動くのですが、面をつけることでその肉体も全てコントロールされてしまうようなところがあります。
自らで切り替えるというより、能面に切り替えられる、能の魔法というか魔術的なところでしょうか。


前シテと後シテが全く別人格という曲は、この「天鼓」の他にも沢山あります。
有名なところでは「船弁慶」が一番の代表格でしょうか。
生きている静御前と死んだ朝盛の亡霊、という全く本当に正反対というか別人格、別の者ですよね。
ですが、これも面によって切り替えられますね。
「船弁慶」では、前シテでは孫次郎という能面を、後シテでは怪士(あやかし)という面をかけるんですね。
能面のこうした差異によって、役者の全て肉体までも変えられてしまう、変えさせられてしまうんですね。

■「天鼓」の適齢期


-「天鼓」のシテは初めてということですが


初めて務めます。
父(金井章師)は、この前シテと後シテで別な人格を演ずる「天鼓」っていう曲を舞うのに、”良い年齢”があるだろうって言いましたね。
尉(じょう)である老人と、童と書いてもいい様な少年の亡霊の、双方を演ずるに良い年齢ですね。
それが、どうも今の私の年齢くらいの様です。

父が「天鼓」を演じた時、老若の演じ分けの様な事を言ってるんですね(『NHK日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門Ⅲ』所収のインタビューにて)。
結局、後シテだけだったら若い人でも十分できる、だけど前シテはちょっと難しくなる。
父親は、息子を殺された悲しみもありますが、宮殿というとんでもないところに来て、薄氷を踏む思いで前へ進んで行きます。
足が思うように進まない、自分も殺されるかもとの恐怖心がある、といった老人を舞うには、若すぎるとできません。
反面、歳をとりすぎていると、後シテの軽やかに鼓を打ちながら舞うことや、ふんだんな足拍子が難しくなります。
こうした理由から、父は「良い年齢がある」と言ったんだろうと思うんですね。
そういう意味で、今の私の年齢はちょうど良いのだろうと思います。

■見どころ、見せ場


-謡の聞かせどころは、どの辺りでしょうか


前シテの、鼓をたった一度打って音が鳴るってところも大変な見せ場なんですよ。
でもやはり後半に聞かせどころがあります。
天鼓の亡霊が嬉々として鼓を打つ、それが呂水のほとり、つまり水の音、波の音、風の音、月の光、宇宙まで呼応するんですよ。
銀河まで呼応した音楽になるんです。
それが、キリの謡の中で描かれるんですね。
宇宙的な、音楽になるんです。
「月も涼しく星もあひ逢ふ空なれやの。烏鵲の橋乃もとに。紅葉を敷き。」呂水の景色を言い、「天の海面 雲の浪立ち」となります。
「天野海面」とは天の川です。


-前シテの、「自分も殺されるんじゃないか」と思って恐る恐る前へ進み出るといったような繊細な様子を、演劇的でなく演じることは難しいと思うのですが。


地謡の力も相当必要になりますね。
他にも、前シテと後シテの対比によってそういった細やかな心情が表されます。
前シテが鼓を打てと命令されて、鼓まで歩んでいくその気持ちの重さみたいなもの、後シテが喜び勇んで鼓に駆け寄って鼓を打つ、その駆け寄る動作、これらの対比。
老人はたった一度だけ力を込めて一度だけ鼓を打つ、それに対して後シテは何度も何度も楽しげに打つ、その対比。
その辺が非常に面白いところですよ。

また、見どころとして前シテのことを言いますと、老人のその心模様ですね。
たった一度鼓を打ったその音色が宮殿中に響いて皆が涙を流したこと、鼓の音色はやはり殺された息子の声であると感じた老人の喜び、といったところが見どころですね。


-舞の見どころを教えてください。


キリの前に「楽」(という舞)を舞います。
楽というのは、中国のものによく出てくるんですが、たとえば「鶴亀」の皇帝が舞う壮大な楽、唐船の親子再会して喜びの舞である楽、三笑の慧遠禅師の酒によって楽しくまう楽。
勿論悲しい楽もあります、「梅枝」、「富士太鼓」といった曲の楽ですね。
また「枕慈童」の様に七百歳の寿命を保っている少年が、喜びの舞を舞う楽などもあります。
だいたい中国の物語に出てくる舞はみんなその「楽」という字の名の通り、楽しいですね。
「天鼓」では、浮き立つような喜びで足拍子を多様に踏んで、軽やかに嬉しげに舞うこの楽という舞から、最後キリまでが見どころですね。


-音楽が主題というのはちょっと面白いですね


殺された恨み、悲しみだとか親子の情愛だとかは、吹き飛ばしてしまうくらい、音楽っていうものに重点を置いた曲ですよ。
人間界の些末なことなど、全く問題にならなくなってしまうくらいの美しい音楽、天上界の別世界の音楽ですね。

やっぱりその「藤戸」とこの「天鼓」の差異により分かってくることなんですが、親の悲しみ、苦しみということを「天鼓」は主題としていないんですね。
あくまで音楽、妙なる音楽に酔いしれるという。

天人の音楽、天上の音楽なんです。

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