「邯鄲」は、夢と現実という、現在の私たちにも身近な素材が
用いられて舞台上で表現されているだけではなく、シテ・盧生の
演技の見どころが非常に多い作品です。
人の世の栄枯盛衰のはかなさや人生の無常を意味する「邯鄲の枕」
「一炊の夢」などの名称で知られた故事が、本作品の下敷きに
なっています。
この故事は、中国の伝奇小説『枕中記(ちんちゅうき)』を基にして
います。中世では、軍記物語『太平記』など多くの作品にこの
エピソードが記されているので、当時の人々にも親しみのある話
だったようです。
舞台上に、一疊台の上に屋根のついた大宮の作リ物が置かれますが、
これは宿の寝台から華麗な宮殿へと大胆に変わる装置です。
狭い台上で、シテ・盧生が帝になった貫禄と栄耀栄華を手に入れた
幸福に酔いしれる心情を体現した、スケールの大きな舞を舞います([楽])。
台上での舞の中で、一畳台から一瞬足をおろして辺りを見回す
「空下(そらお)リ」は、本曲のみに見られる所作です。この所作は、
盧生が夢の中から現実を垣間見ているような感を観る者に与えます。
なお、シテ・盧生の面は専用面「邯鄲男」がよく用いられます。
夢の始まりと終わりは、扇で枕を叩く所作で表されます。慮生の
枕もとを勅使が叩くと夢が始まり、宿の女主人が叩いて慮生を
起こすと夢が終わります。
夢の終わりに、シテ・盧生が一疊台の上に置いてある枕を指して
一直線に走り、飛びあがって、横たわる姿勢をとる「飛込み」の
演技は見せ場のひとつです。地謡の謡が速くなり、舞童や勅使が
切り戸から消え、シテが一疊台の上で横になるという激しい動きが
続きますが、これは、夢から覚醒する瞬間がスピード感をもって
表現されています。
「望み叶へて」故郷に帰る盧生が「げになにごとも一炊(一睡)の夢」
と悟るのは、現世には不滅なものなどないことを体感したからかも
しれません。