「俊寛」は、孤島にひとり残される俊寛を描いた作品で、舞の要素のない
異色の劇能です。通常の能において、現実に生きる男を演じる際は直面
(ひためん)ですが、能〈俊寛〉の俊寛は、諦観のなかにも剛毅さを滲ませる
専用面「俊寛」を用いるのが特徴です。
本曲は、『平家物語』を本説にしています。俊寛は後白河法皇の側近で、
法皇主催の仏事を取り仕切る立場にいました。『平家物語』には旧来の
貴族勢力を中心として、京都東山・鹿ヶ谷の山荘(俊寛の別荘)で平氏
打倒の謀議を謀ったことが描かれています。世に云う「鹿ヶ谷事件」です。
その謀議が密告によって発覚し、俊寛、康頼、成経の三人は、鬼界島に
流罪となりました。鬼界島は日本の最果ての地とされた重罪人の流刑地
で、硫黄島とも言われています。ちなみに、東京都の硫黄島とは別の島です。
前半の見どころは、俊寛の登場場面から三人で酒に見立てた谷水を
酌み交わす場面です。俊寛が水桶を傾け二人に酌をする所作をしますが、
着座して謡のみの場合もあります。
困窮の日々を送る俊寛が、登場場面で口ずさむ「玉兎(ぎょくと)昼眠る
雲母(うんぽ)の地、金雞(きんけい)夜宿(しゅく)す不萌(ふぼう)の枝」は、
「玉兎(月)」は昼眠り、「金雞(太陽)」は夜眠るので、各々その光を発せぬ
という意味で、虚しい日々を過ごす自身を比喩しています。この詩句の
典拠は不明ですが、禅林の詩句と推定されています。
後半は、赦免使の登場、大赦の告知、俊寛の絶望、そして船の出航と
見せ場の連続です。赦免使が登場する際に、橋掛りに舟の作リ物が
置かれます。本曲では船の作リ物を用いて橋掛りの遠近感が効果的に
演出される場合が多いのですが、舟の作リ物や纜のない演出もあります。
赦免使から赦免状を受け取りながら、自分では読まずに康頼に読ま
せる場面では、豪放な俊寛の怯えが垣間見えます。自分の名がないと、
赦免状を裏返し、見返し、礼紙にあるのではと巻き返す所作は、俊寛の
焦り、おののきが全身から溢れるようです。纜にすがりつく俊寛を赦免使
が払いのける場面、さらには沖から都で「よきやうに申」すと云う二人に、
浜辺から「頼むぞよ」と期待をかける俊寛の場面は、観る者の心を締め
つけるでしょう。