「錦戸」は、源義経伝承を素材としながら、前半は親子・兄弟・主従の忠義と裏切り、そして夫婦の情愛という濃やかな人間関係、後半は戦闘場面で武士の勇壮な姿が描かれ、闘いの場面を見せ場とする「斬リ組ミ物」です。現在、本曲は宝生流と観世流が上演曲としています。
シテ・泉三郎は藤原忠衡(ただひら・泉忠衡・泉冠者とも。1167~1189)ともいいます。この曲に登場する三兄弟(錦戸太郎、泰衡、泉三郎)の父・秀衡は奥州藤原氏の最盛期を現出した人物で、平氏滅亡後も頼朝に従わず、義経を主君とするよう遺言を残して亡くなったと伝えられます。しかし、義経を庇護したことが、頼朝に奥州を攻撃する絶好の口実を与え、後を継いだ泰衡の代に頼朝の武力に屈して、奥州藤原氏は滅亡していきました。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』文治五年(1189)六月二十六日条に、泉三郎は兄・泰衡が連れた手勢らによって住まいを襲撃され、命を落としたことが記されています。ワキ・錦戸太郎は、秀衡の長男・藤原国衡(くにひら、?~1189)と目されていますので、泉を殺害した人物は『吾妻鏡』と「錦戸」では異なりますが、義経に味方した結果死を迎えた泉の人物像が共通しています。このような人物像は、幸若舞「和泉か城」にも描かれており、室町時代に民間伝承や説話などによって流布していたことを窺わせます。ちなみに、西木戸に館をかまえていたため、太郎は錦戸(西木戸)と称するようになったと云われています。
本曲の前半・会話場面とシテやワキの台詞から一転して後半・戦闘場面という構成は、静と動のコントラストが鮮やかです。詞章には、「賢人二君に仕えず、貞女両夫に見(まみ)えず」「君親二つは二体の義」等の武士の忠節を軸に据えた本曲らしい成句が見られます。
後場では舞台上に一畳台が出され、そこにシテが腰をかけて敵を待ち、斬り組みを見せます。クライマックスの戦闘場面の後、シテは「腹十文字にかき切り」と太刀で腹を切る型をした後、台から飛び下りるという、迫力ある所作をします。
忠義に従い、仁義を守り、自らの正義を貫いた泉三郎は、壮絶な最期を迎えます。命を賭して何かを守ろうとする三郎の姿には、時代を超えて人々の心を打つ品格の本質があるように思われるのです。
(井上 愛)