「黒塚」あらすじと見どころ

あらすじ

 熊野の阿闍梨・祐慶(ワキ)一行は、諸国廻国修行の途中、陸奥の安達が原

(現福島県安達太郎山東麓の野)で出会った女に一夜の宿を借りることにします。

そこの女(前シテ)は、枠枷輪(わくかせわ・糸繰り車)を使って糸を繰り、祐慶らに

我が身のつらさを語り聞かせます。女は「あまりに寒いので、焚き火にくべる木を

山に取りに行く」と言って出かける際、祐慶らに「閨の内を覗くことだけはするな」と

告げます。

 

 供の能力(アイ・従者)は、閨の内部がどうなっているかが気になって仕方が

ありません。能力は、覗こうとしては祐慶に制止されますが、祐慶の眠った隙に

閨の内を見て、肝を潰します。そこには、無数の人の死骸が積み置かれ、腐臭が

満ちていたのです。

 

 無我夢中で逃げる裕慶一行の前に、柴を持った女が鬼女(後シテ)の姿で現れ、

閨の内を見たことに激怒して喰い殺そうと襲いかかってきます。しかし、裕慶たちは

必死になって祈祷し、みごと祈り伏せられた鬼女は、夜嵐とともに姿を消すのでした。

 

見どころ

 「黒塚」は、女主人が糸操りをする姿・能力が閨を覗き見る様子・祐慶と鬼女の死闘など、見どころがとても多い作品です。寛正六年(1465)に「安達原」(黒塚の別名。現在観世流の曲名となる)の上演記録が残されており、室町時代には本曲が演じられていたことがわかります。

 

本曲は、平兼盛(?~990。歌人)が詠んだ「陸奥の安達の原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」(『拾遺和歌集』巻九・雑下)の歌を素材にしています。これは、黒塚に源重之(?~1000頃。歌人)の妹らが住むと聞いた平兼盛が、彼女らを鬼に喩えてからかったものです。この歌が詠まれた背景には、当時から安達が原に鬼女が棲むという伝承があったと考えられます。ちなみに、現在、鬼女が籠もったと伝えられる岩屋に石が乱雑に積み上げられており、その首を埋めたという黒塚はそばの杉の根にあります。

 

前場の眼目はシテが糸尽くしで謡う糸繰りの場面です。「さてそも五條あたりとて…」以下は、「日蔭の糸」「糸毛の車」「糸桜」「糸薄」など、京の風物をとりあわせた糸尽くしの謡い物です。カラカラと枠枷輪の作リ物を廻しながら、女主人は輪廻の苦しみを嘆きます。中世寺院芸能のひとつに、稚児の糸綸(いとより)があります。女装した稚児が枠に糸を巻きながら謡を謡う糸綸の芸を換骨奪胎して、前場の女主人が「長き命のつれなさ」を嘆く糸操りの場面を構成したとも推定されています。

 

閨を覗き見ようとして裕慶に怒られる能力は、間狂言の大役です。抜き足差し足忍び足で閨の中を覗こうとする能力と、絶妙のタイミングで目を覚ます祐慶の掛け合いがコミカルに演じられ、観客の笑いを誘います。

 

後場は鬼女と裕慶らの熾烈な戦いです。今回の上演では、小書(特殊演出)・白頭がつき、後シテが白い鬘を身につけることで、シテの霊格が上がったことを表します。後シテは般若の面をかけることが多いようです。般若の面は女の激しい執心や怒りの表情のなかに、そこまで追い詰められた悲しみが表現されていると云われています。

 

シテは人間の心を残している鬼女です。中入の時、橋掛りで立ち止まった後ろ姿は、「見るな」の約束を守ってほしいという願いとも、罠にはまってくれという企みとも見えます。ただ、自らの言葉通り柴を持った鬼女には、祐慶のために暖をとろうとした心遣いがあったとも考えられます。その心が真実であったならば、逃げる祐慶を追いかける鬼女の姿に、憤りと哀れをみることが出来るかもしれません。

 

(井上愛)


今回の舞台についての金井雄資師の談話をお読み頂ける

「舞台に寄せて」はコチラ → クリック

●能「野宮」の概要を教えてください

本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか

世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?

皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
 同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか

演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。

●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか

姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?

それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてくださ

草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。

●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?

これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか

煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。

●観客の皆様にメッセージをお願いいたします

仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。

関連リンク

公益社団法人宝生会
公益社団法人能楽協会

サイト更新情報

雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
雄資師10月、11月の予定を掲載しております
賢郎師シテ出演 宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー賢郎の扉に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
宝生能楽堂
http://www.hosho.or.jp/
〒113-0033
東京都文京区本郷1-5-9
TEL: 03-3811-4843

【電車】
JR 水道橋駅 東口 徒歩3分
都営三田線 水道橋駅 A1出口 徒歩1分
↓ クリックすると拡大します

問い合わせ

公演について

【宝生会】
http://www.hosho.or.jp/
電話 : 03-3811-4843 
FAX : 03-3811-4591
住所 : 〒113-0033
    東京都文京区本郷1-5-9

↓お稽古に興味がある方

下記よりメールで
お問い合わせ下さい

Powered by Flips
編 集