「梅枝」あらすじと見どころ

あらすじ

甲斐国(現在の山梨県)身延山(みのぶさん)の僧たち(ワキ)が、諸国を巡って修行をしています。摂津国(現在の大阪府)住吉で突然の雨にあい、質素な庵に住む女(前シテ)に一夜の宿を借りることにしました。

 

僧は、庵に舞楽の太鼓や舞の衣装が置かれているのを不思議に思い、女に尋ねます。女は、住吉大社の伶人(雅楽演奏者)であった夫・富士と天王寺の伶人・浅間が内裏の管絃の役をめぐって争い、管絃の役は夫・富士に決まったこと、それを恨みに思った浅間に夫が殺された顛末を語ります。富士の妻は夫を恋しく思いながら形見の太鼓を打って心を慰めていましたが、ついに亡くなってしまったことを語り、僧に回向を頼んで姿を消します。

 

夜、僧たちが読経していると、夫の形見である舞の衣装をまとった富士の妻の亡霊(後シテ)が現れます。亡霊は、非業の死を遂げた夫への恋慕で涙にくれた生前を回想し、越天楽今様(えてんらくいまよう)を謡い、懺悔の舞を舞います([楽])。そして、楽の音と松風の音が一つになって、暁の闇のなかに姿を消すのでした。

 

見どころ

「梅枝」は、亡霊の妻が夫への愛を胸に舞を舞う場面が見どころの作品です。夫の形見である鳥兜(舞楽の装束に用いるかぶり物)と舞装束を身につけて舞う妻が、舞楽を模した舞事といわれる[楽(がく)]を舞う場面は、本曲のクライマックスとなっています。

 

 曲名は、舞の前に謡われる「梅が枝にこそ、鶯は巣をくへ、風吹かばいかにせん、花に宿る鶯」の詞章の「梅が枝」を基にしています。この箇所は、雅楽「越天楽」に今様風の歌詞を謡う「越天楽今様」の詞と旋律を取りいれるという趣向が凝らされています。

 

舞台上には鞨鼓台の作リ物が置かれ、そこに夫・富士の形見である舞衣と鳥兜がかけられています。それらを身にまとった男装の後シテは、「変成男子(へんじょうなんし)」の姿だとされます。これは、八歳の龍女が男に転じて悟りを得たという『法華経』にある話を踏まえ、変成男子の仏説と男装のシテが重ね合わせられています。ワキが日蓮宗の総本山・身延山の僧に設定されているのは、日蓮が法華経による女人成仏を積極的に説いたためと推定されます。

 

「梅枝」は能「富士太鼓」と同じ題材を用いた作品です。「富士太鼓」は富士が殺されたことによって狂乱した妻が舞を舞う現在能ですが、本曲はその後日譚風に仕立てられているのが特徴で、亡霊となった妻をシテとする夢幻能になっています。亡霊となっても一途に夫を想い続け、羯鼓を打ち、舞を舞うことによって、遺恨から解き放たれていく、ひとりの女の喜びが立ちあがってくることでしょう。

 

住吉大社と天王寺は、楽所(雅楽演奏者を司る所)がある寺社として知られていました。天王寺の楽所は、内裏の楽所と南都興福寺を中心とする楽所とあわせて「三方楽所(さんぽうがくそ)」と称されていました。また、歴代足利将軍の信仰を受けていた住吉大社は、神事にたびたび舞楽を奏していたことが記録に残っています。中世の記録に芸能者同士の殺人事件はよく見られるため、当時の観客にとって本曲のような素材は巷間に流布していたものだったのかもしれません。

                                                 (井上 愛)

 

金井雄資師による、「梅枝」舞台に寄せての談話も是非併せてお読み下さい。→クリック

●能「野宮」の概要を教えてください

本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか

世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?

皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
 同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか

演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。

●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか

姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?

それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてくださ

草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。

●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?

これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか

煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。

●観客の皆様にメッセージをお願いいたします

仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。

関連リンク

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サイト更新情報

雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
雄資師10月、11月の予定を掲載しております
賢郎師シテ出演 宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー賢郎の扉に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
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