【2014年4月15日 企画公演「時の花」~春~ シテ出演時インタビュー】
主君のために我が子を殺す(「満仲」)とか、「錦戸」の様に妻に自害を
させるというのは、現代ではなかなか理解しがたい題材の曲です。
昔は忠義を尽くす家臣は褒めそやされたので好まれたのだろうと思います。
義経をかくまっていた父の藤原秀衡亡き後、長男(錦戸太郎)、次男(藤原泰衡)は
頼朝方に付いたのですが、三男(泉三郎)は父の遺言のためと義経を守ります。
泉三郎には、(兄たちに対して)親の遺言や義経を裏切るのか、という憤懣があります。
そこには、もし自分も(義経を)裏切れば、「武門の汚れ」になる、藤原家は恥辱に
落ちてしまう、ならば自分が守らねば、という意地の様なものがあったのだと
思います。
能は、錦戸太郎が泉三郎を(自分方へ来る様)誘いに来るところから始まります。
義経を討とうとすれば「順義」に背く一方、兄の言うことを聞かぬのもまた
「順義」に背きます。
結果、泉三郎は親の遺言を重んじて義経を守ることを選び、兄弟がその場で
敵味方になります。
兄たちが泉三郎を討つべく屋敷へ向かっていると母親が手紙を寄越すのですが、
「一足も引けない」と泉三郎自身は動かず、妻を逃そうとしますが、
その妻が夫の負担になりたくないと自害します。
舞台では泉三郎が自分の短刀を渡して自害させ、妻は後ずさりして、
そこに幕がかぶせられます。
その後、泉三郎は妻の死に泣くのですが、これら妻とのやりとりは全て橋掛かりで
おこなわれます。
夫婦間の細やかな愛情が通い合う場面です。
一方、後半は五人と戦う、戦闘シーンです。
短いですがスピーディーに素早く、しかし技にキレがないといけません。
その戦闘の型ですが、実は自分たちで創作しています。
また、この後場では、他のお能にはない動きが多くあります。
十文字に腹を掻ききり、自害して飛び降りる(転がる)などです。
スペクタクルでないと魅力が半減してしまいますね。
数十年に一回出るかどうかの曲ですので、演じるのは勿論初めてですが、
30年前に近藤乾之助先生が演じられたときのことをよく覚えています。
妻に自害を勧めるなど理解できない話ですが、改めて読んでみると、
親の願い、子の思い、兄弟の葛藤、夫婦の愛、沢山の人間ドラマが
介在していることが分かります。
特に、前半の兄とのやりとりはよく台詞を読み込むと面白いです。
(自分方へ)引き込もうとする兄、兄に従わないことと親の遺言とに
板挟みになる弟。
その弟が言葉を巧んで断っているのを見抜く兄、一家の恥辱になると
対抗する弟。
役者の力が拮抗してないと会話劇として成り立ちません。
そして、この台詞劇的な緊迫感こそが、後の戦闘へのきっかけとなるわけ
ですから重要です。
若い三男坊ですので、若々しく演じたいです。
人間ドラマに溢れた能に、どうぞご期待下さい。
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