「三井寺」あらすじと見どころ

あらすじ

行方のわからないわが子を捜す一人の母親が、清水寺に参籠します。観世音菩薩から霊夢を得ると、夢占いの男の教えにしたがって、近江国(現滋賀県)三井寺へと向かいます。

 おりしも仲秋の名月。三井寺では住僧たちが、新参の稚児を伴い、講堂の庭で月見をしています。宴もたけなわになって能力(のうりき。寺の下働き)は舞を舞い、酒に酔いながらも鐘を撞きます。

そこへ鐘の音に惹かれるように女物狂が現れます。清水寺から三井寺へとやってきた母親は、女物狂となっていました。住僧は鐘を撞こうとする女物狂を制止しますが、女物狂は、名月に心を澄まし詩句ができた嬉しさに心乱されて鐘を撞いた詩狂もいる、と反論します。女物狂は鐘楼に登り、制止する住僧らを言葉巧みに振り切って鐘を撞きます。

一部始終を見ていた稚児は、住僧に女物狂の故郷を尋ねるよう求めます。住僧が尋ねると、女物狂は駿河国(現静岡県)清見が関の出身だと言います。その答えに稚児は思わず声をあげます。実はこの稚児こそが、女物狂の子・千満なのでした。千満は、人商人に誘拐されて三井寺にいたったと話します。

二人は再会を喜びあい、神仏の恩寵に感謝しつつ、故郷に帰っていくのでした。


(井上 愛)



見どころ

「三井寺」は、生き別れた母子の再会を軸に、中秋の名月と三井寺の鐘が織りなされている、秋の情趣を感じるにふさわしい作品です。本曲は、シテの霊夢、三井寺への道行、鐘の段、狂言役者(門前の男・能力)の活躍、母子の再会など、見どころが多くあります。

 本曲の舞台である三井寺は、滋賀県大津市の琵琶湖畔に位置する天台宗寺門派(じもんは)の総本山で、正式名称は園城寺(おんじょうじ)です。三井寺の鐘の響きは美しく、日本の三名鐘のひとつに挙げられています。この鐘は、俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと。平将門の乱を平定した平安時代の武将)が大百足(おおむかで)退治の返礼として、龍宮から贈られた宝物のひとつであるという伝説があり(『太平記』巻十五など)、本曲の詞章にある「秀郷とやらんの、龍宮より取りて帰りし鐘なれば……」は、この伝承を踏まえています。

本曲の謡の美しさは、「謡・三井寺、能・松風」と称されていることから窺えます。漢詩句が散りばめられた「鐘の段」(許し給へや人々よ~眺めをりて明かさん)には、「諸行無常、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅々已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」と『涅槃経』の偈(げ)が織りこまれており、鐘の音と現世の無常が重ねあわされて、観る者の心に力強く響いてきます。舞台上には、実物よりもミニチュア化された鐘楼の作リ物が出されます。わが子の身を案じる母が、だんだん心昂ぶり鐘を撞く姿は、本曲のクライマックスになっています。さらに、[クリ・サシ・クセ]では、鐘にまつわる和歌や漢詩句などが次々に引用されて、琵琶湖に三井寺の鐘が鳴る情景を浮かびあがらせます。 

他の女物狂能の場合、肉親・恋人が生き別れの大切な人を求めて語り舞ううちに狂乱するのですが、本曲のシテは、前半は座ったまま動かず(居グセ)、後半も静謐な空気を纏っています。本曲の女物狂は、能力の制止に「団々として……」の詩句を援用して説破するなど、古典に造詣が深い理知的な女性として描かれているのが特徴です(詩句は典拠未詳)。そのため、室町時代末期には、母親の狂乱は方便であるという説も生まれました。

 本曲は、狂言役者が要所要所で活躍することも特徴です。前半は夢占いの男が、「尋ぬる人に近江国、わが子を三井寺」とシテの霊夢を夢解きし、後半の名月を愛でる宴の場では能力が大蔵流狂言小舞「いたいけしたるもの」(和泉流「小弓」)などを謡い舞い、興を添えます。能力は三井寺の鐘の音色を「ジャンモンモンモン」と己の声で表現し、シテはこの鐘の音に導かれて、母子再会のきっかけとなっています。


(井上 愛)


金井雄資師自身による「三井寺を語る」はコチラ → クリック

●能「野宮」の概要を教えてください

本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか

世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?

皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
 同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか

演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。

●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか

姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?

それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてくださ

草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。

●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?

これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか

煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。

●観客の皆様にメッセージをお願いいたします

仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。

関連リンク

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サイト更新情報

雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
雄資師10月、11月の予定を掲載しております
賢郎師シテ出演 宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー賢郎の扉に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
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