加茂記事(公開前)

■昨秋、書生を終えられ独立されました 何かご自身の中で変化などはございますか

-独立しても宝生流の一員ということは変わりませんが、公私の区別ができたのは大きい変化です。そのぶん、しっかりと研鑽を積み、良いものと悪いものを見極め、宝生流に貢献しなければと強く自覚しています

■今回の「加茂」の作品としてのご印象をお聞かせくさい

-脇能で前シテが女性なのは「加茂」のみで、本曲の最大の特徴かと思います。京の喧騒から少し離れた、賀茂川の川辺に二人の美しい水汲み女が現れます。しとやか、かつ気品漂うシテの前段です
正先の巨大な白羽の矢の作り物は、いかにも天から降ってきて地面に突き刺さったかのような力強さで、シテの美女が持つ小さな水桶とは対照的です。とは言え、まさしく雄々しい矢のように、ワキの問答にも物怖じしない気高い女性でなければなりません
芯のとおった神秘的な前シテをしっかり演じてこそ、荒々しい後シテ(賀茂別雷神)の神威の説得力につながるものと思います

■能「加茂」の魅力はどんなところでしょうか

-前シテが語る秦氏女の懐胎のエピソードは、マリアの処女懐胎や、昔話の桃太郎を思い起こさせます
典拠はいくつかあるようですが、水遊び(「山城国風土記」の玉依姫)、もしくは洗濯(「秦氏本系帳」)の折りに矢を拾った、とあるところを、水汲みしていた折りに…と翻案した意匠が面白いと思います
前シテ(里女)は後ツレの天女と同一人物と考えられますが、一方のシテは大飛出という金塗りの能面に赤い頭、御幣を持った別雷神という荒神となります。雷鳴を足拍子で表し、舞台を縦横に駆け巡る。目をはなす暇もなく爽やかな終演となります。夏の訪れを感じる、ぴったりな曲と言えるのではないでしょうか

■前シテはどこか気品のある里女である一方、後シテは早笛と共に舞台へ登場し天空を自在に飛び廻るという別雷神、とかなりの変化があります
 どういった心持で演じ分けるのでしょうか

-脇能の前シテは「真之一声」という囃子でゆっくりと幕から姿を見せます
遠大で悠然とした出囃子ですから、シテの謡いにもスケールの大きさが求められます  神の化身ですから、悠然としたなかにも力強さと気品が両立していなければならず、正直かなり困難です
ワキに正体を問われ、「誰とはなどや愚かなり」と様相が変わり、「神隠れになりにけり」と少し荒々しい片鱗を見せ中入します  巫女ならば神憑りにでもなりそうな展開ですが、この里女はもとから神の化身なので全てが自明で、泰然自若としています  心持ちとしても同様に、そのまま稽古の成果を出すだけです
後シテもそうですが、敢えて言うならば、こういった曲だと装束に型が負けてしまう場合があるんですね  フォルムを意識しつつ大きく、硬く舞います

■地謡の聴きどころを教えてください

-ロンギでしょうか  賀茂川のほか、貴船川、大井河、清滝川など京の諸々の川のことを謡うのですが、様々の歌を引いて、賀茂川の上流の情景にまで景色が広がります  上流の滝に融ける白雪のように、黒い筋のない白髪になるまで、夢のように日々が過ぎていく…と里女は夕陽を見上げ、「神の心汲もうよ」と手を合わせます  「老い」という言葉が美辞麗句にしっかりと刻まれているところが聞き逃せない点かと

■ご自身が思われる、ここは見逃してほしくないという場面などを教えてください

-天女(後ツレ)の「緑の袖を水にひたして涼みとる」と袖に水を灌ぐ所在、そして天女に誘われるようにして現れた別雷神が、反対に天女を「御祖の神は糺の森に飛び去り飛び去り」と見送る場面  また囃子の調子の変化が長大な物語を巧みに彩ります。時には目を閉じて、音の世界観にも浸って頂きたいです

■観劇される皆様に一言お願いします

-調べたところ、私も意外でしたが、賀茂別雷神は雷の神かと思いきや、雷避けの神で、そこから転じて災害から人々を守る神として敬われていたそうです  演能当日は緊急事態下ではありますが、コロナ収束を祈って邪を払うべく舞い務めます

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