小袖曽我(公開前)

●これまで(青雲会、地方公演などを含み)公演で「小袖曽我」に携わられたことはございましたか

立衆はつとめたことがあります。太刀を高々と持ちながら謡うのは相当苦しかったことを覚えています。 また25歳の頃に稽古会でシテをつとめたので、それを数えれば今回2回目のお役です。

●ご自身が思う、能「小袖曽我」の魅力はどんなところでしょうか

『曽我物語』は日本三大敵討ちの一つとも言われ、曽我兄弟が苦難の末に父の敵を討つまでを描きます。能のなかでも「曽我物」と呼ばれ、宝生流では「調伏曽我」「小袖曽我」「夜討曽我」「禅師曽我」の四曲があります。しかし驚くべきことに、親の敵である工藤祐経を、ついに討ち果たすという場面を能では描いていません(他流ですと十番斬という小書きではその場面も出てきます)
それを踏まえれば、本曲「小袖曽我」も、敵討ちの瞬間より、その過程を重要視する能の、或いは日本人の感性に則って作られたものでしょう。兄弟の臥薪嘗胆の思い、そして5月の終わりに鬼神の如く敵中切り結んでついに兄弟は落命することを皆が知っているからこそ、「五月半ば」のほんの一時、人の子として母と対面する情動的な場面、そこに人々は涙を禁じ得ず、名曲として語り継がれているのだと思います。

●前シテが静で、後シテが動といったような対比が見られるのではなく、一曲通じて一人の青年を演じられます  一貫して会話劇のような印象がありますが、緩急をつけるポイントなどはあるのでしょうか

「馬庭の末に生首絶やすな」とさえ言われる鎌倉武士のこと、現代をのほほんと生きる我々から見れば異人種でしょう。一つ一つの所作、言葉の末にまで、隙のなさと洗練みがなければいけません。六人の役者がひしと舞台上にひしめき合いますが、立ち居にもやり取りにも、武士的な格式が損なわれることがあれば能としての魅力は失われます。
兄弟はそれぞれ、冷静沈着な兄・十郎祐成と、血気盛んな弟・五郎時致という個性があります。しかし双方、ある種の強迫観念として敵討ちのことが頭を離れず、飢えた獣のようにピンと張り詰めた感じが根幹にあります。そういった意味では「緩」はありません。が、母を前に一寸揺らぐと面白いでしょう。
また緩急の「急」でいえば、弟・五郎の勘当を解くため「某存ずる仔細の候う間」と凄む場面。原作では「細首打ち落として見参」と弟を殺そうとまでします。兄・十郎の激情が少し迸るように謡います。

●最後に母親との和解があり、名残を惜しみつつ暇乞いします  非常に感極まる場面だと思うのですが、写実的、演劇的にならず、感情的な場面を演ずるのに  ご自身で考える演出などはあるのでしょうか

前述しましたが、武士的な格式こそ、武士をシテとする現在能の魅力だと思います。存在理由と言っても良いかもしれません。つまり、リアルな、もしくは大袈裟な表現でなくて「型」で全てを描かないといけません。 しかし本曲はあまりにも情動的な場面がたくさんあり、「型」に終始するとかえって陳腐に見えてしまいます。まして私のような三十余りの青二才なら尚更です。 「型」の美しさを保ったまま、内側から突き抜けるような情動的な表現が効果的だと思います。 具体的には、何度も母に対して平伏してお辞儀しますが、場面により意味が変わるので、差異をつけて思いを表現したり…無論、やりすぎは禁物ですが、本曲において、端からやらないのはむしろ未熟さの証といえます。

●ツレの五郎時致との連吟や同じ型の所作、相舞などの演出が見られるのも独特な曲であると思います  心合わせるのにあたり、工夫なさっていることやツレの方との準備などはあるのでしょうか

一緒に稽古をするのは勿論、思いを合わせるのが大事です。そのうえで、シテの兄・十郎は威厳、弟・五郎は熱量でそれぞれを凌駕する必要があると思います。

●この曲で、ご自身が伝えたいテーマなどはおありですか

史実でも、富士の御狩りでの曽我兄弟の事件は鎌倉幕府のなかで波乱を引き起こしました。もし源平合戦が続いていれば、兄弟は命を捨ててまで親の敵を討ったろうか、と考えました。兄弟にとっては、復讐心というより名誉の問題で、平和な時代では武士として活躍する場もなく、名誉心から意を決して行動にうつったのではないでしょうか。 現代においてすら、日本人は命をかけたテロリズムを称賛さえする傾向が残っているようです…。若者の鬱屈したエネルギーや不満を芸術に転嫁させることは決して自己満足でなく、今日において多大なる社会的意義を持っていると思います。

●ご自身が思われる、ここは見逃してほしくないという場面などを教えてください

やはり兄弟の相舞です。型が合っているのは勿論、若武者らしく颯爽と、意気天を衝く勢いで舞う所存です。
●歳を重ねられ、舞台への備えや舞台に対する思いなどに変化はありますか
今までの舞台上での経験が若干にしろ積み上がっていると実感しています。新しい形を模索しつつも、そういった経験に頼る部分は増えました。 思いという意味ではいつも必死で、昔から変わっていません。


●お弟子さんと対峙される中で、以前は無かった気付きの様なものはありますか

一つ一つの節や、型の意味を深く考えるようになりました。そしてそれを柔らかくお伝えするなかで、自分でも驚くほど色々なことが判明します。


●観能される皆様に一言お願いします

宝生能楽堂の建て替えが迫り、私も五雲能でシテをつとめるのはこれが最後かもしれません。今の宝生能楽堂を建てた先人たちに少しでも申し訳が立つよう、己に厳しく舞いつとめます。

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●能「野宮」の概要を教えてください

本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか

世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?

皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
 同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか

演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。

●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか

姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?

それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてくださ

草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。

●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?

これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか

煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。

●観客の皆様にメッセージをお願いいたします

仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。

関連リンク

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サイト更新情報

雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
雄資師10月、11月の予定を掲載しております
賢郎師シテ出演 宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー賢郎の扉に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
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