葛城(公開前)

□これまで「葛城」という演目に携わられたことはおありですか
■舞囃子を舞ったことがあります。初めての序の舞でした。
□毎回シテを勤められる際には、綿密な考察や準備の上で臨んでおられますが、今回「葛城」に向けてなさったことなどありましたら教えてください
■時間があれば葛城山に登ってテント泊でもしたかったところですが、かなわず…代わりといいましょうか、知人が山頂まで行ったそうなので写真を送ってもらいました。今はロープウェイで簡単に登れるようですね。秋は一面ススキ野があって、山頂からの景色は、高天原の異名で呼ばれるように美しく幻想的ですらあるらしいです。
□今回は、前後シテ共に女性ですが、女性を演じる際に工夫されていることなどありますか

■カマエやハコビが変わるのは勿論ですが、自分は肩幅を隠すためにグッと両肩を下げます。なによりも謡の調子に気を使います。波が揺蕩うように、絹糸のように繊細に、しかししっかりと芯がある、そんな謡を心掛けています。
□前シテと後シテは同一人物ですが、かなり異なる印象ですね
■前シテは曲見もしくは深井、後シテは泣増の能面をつけて登場します。他流だと前シテも若い女性の能面をつけることもあるようですが、曲見だと少し艶やかさに欠ける印象ですね。曲見をかけるのは初めてですので、心してつとめます。
□前シテの負柴や笠には”雪かけ”がありますね
普通詞章などで表されることが多いと思うのですが、目に見える細工があるのはめずらしいことですか
普通詞章などで表されることが多いと思うのですが、目に見える細工があるのはめずらしいことですか
■冬を題材とする曲は多くありません。最低限の舞台装置ともいえると思います。真っ白い雪原と吹雪を想像しやすくするとともに、雪氷がシテを戒め、呪縛しているようにも見えます。雪がけの笠は「竹雪」と本曲のみで使用します。書生のときに、綿を薄く平たく伸ばして、笠を作ったのをよく記憶しています。


□謡の聞かせどころを教えて下さい
■シテは雪の中でワキの山伏たちを呼び止め、自分の家へと誘います。映画であれば、ホラーにも官能的な展開にもなりえそうな雰囲気です。しかし夜も更け、ワキが後夜の勤め(午前四時の勤行)をする際「我に悩める心あり」とシテが葛城の神であり、過去の罪により呪縛を受けていることを打ち明けます。恐ろしさや艶やかさもありつつ、神話的な展開で全てを超越してくる、そんな謡の力が臨まれます。具体的には「さなきだに女は五障の罪ありしに」からよく変えていかねばなりません。
地謡はクセ「葛城や木の間に光る稲妻は。山伏の打つ火かとこそ見れ」から、静かに進行していきます。しんしんと降り積もる雪の音が聞こえるようです。
■シテは雪の中でワキの山伏たちを呼び止め、自分の家へと誘います。映画であれば、ホラーにも官能的な展開にもなりえそうな雰囲気です。しかし夜も更け、ワキが後夜の勤め(午前四時の勤行)をする際「我に悩める心あり」とシテが葛城の神であり、過去の罪により呪縛を受けていることを打ち明けます。恐ろしさや艶やかさもありつつ、神話的な展開で全てを超越してくる、そんな謡の力が臨まれます。具体的には「さなきだに女は五障の罪ありしに」からよく変えていかねばなりません。
地謡はクセ「葛城や木の間に光る稲妻は。山伏の打つ火かとこそ見れ」から、静かに進行していきます。しんしんと降り積もる雪の音が聞こえるようです。
□ここぞ「葛城」という箇所を教えてください
■初動「肩上の笠には。無影の月を傾け…」と吹雪のなか女の家に一行が向かう場面です。笠を月に例えているところが洒落ています。ここで巧く情景を描写できると、この後の暖かい家のなかとの差が際立って効果的でしょう。
その後、標(木の枝)を火にくべる場面、独特の型があります。
その後、標(木の枝)を火にくべる場面、独特の型があります。
□シテ出演を重ねられ、独立、30代も半ばとなられ、ご自身の中で変わってきたことはありますか?
■親の仇のように稽古をがむしゃらにする時期は過ぎたかもしれません…限られた時間で、どれだけ成果を得るか。少しずつではありますが経験も頼りになります、とはいえ初心は忘れず…悪いところを削り、良いところを伸ばす、この繰り返しだと思います。シテの前はひたすら苦しみです。しかし安閑とした気持ちで舞台に臨むより、藻掻き苦しんで、緊張感と切迫感のある舞台に価値があると考えます。

□最後に、最近のご活動について教えてください
■私が指導している紫閃会の第一回大会を秋に開催いたしました。賛助出演ふくめ、参加者28名での盛大な会となりました。舞台は勿論のこと、普及・指導にも邁進する次第です。

今回の「葛城」の舞台、また今後の活躍が楽しみでなりません!
皆さん、11月16日は宝生能楽堂でお会いしましょう!

●能「野宮」の概要を教えてください
本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。

●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか
世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?
皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか
演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。
●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか
姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?
それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてください
草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。
●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?
これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか
煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。
●観客の皆様にメッセージをお願いいたします
仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。
関連リンク
公益社団法人宝生会
公益社団法人能楽協会
サイト更新情報
●雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
●雄資師10月、11月の予定を掲載しております
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