能楽師金井雄資と紫雲会の情報ページ
メニュー7
サイトマップ
HOME
公演案内
金井雄資の部屋
紫雲会
金井章の窓
能楽いろは
「須磨源氏」公開前原稿
■「須磨源氏」への印象をお聞かせください
不思議なお話です。まずワキの藤原興範が日向の国の社官として登場しますが、史実では貴族であり、しかも紫式部より百年も以前の人物です。この人が光源氏の旧跡である須磨の若木の桜を訪れることからして、異様に感じます。
しかしとても簡潔にまとまっています。源氏物語を題材にしたほかの曲が女性の執心に焦点を当てているのに対し、光源氏の功績を讃えるに留まっていて、小品ながら能らしい構成といえると思います。
■前シテは老翁でご自身の年齢とかけ離れています。こうした老人のお役を勤められる時にどんなことに配慮されていますか
カマエを変え、ハコビにも気を配ります。わざと猫背にする、というような誇張表現はせず、老人の本質を身体の内側から滲み出させます。至難のわざですが、今まで試行錯誤は散々してきましたから、その経験を活かせるように励みます。
一方で謡のほうは明確に「位」が決まっています。寂れていて、侘しく、しかし力強く一本の線が通っていないといけません。本曲であれば気品も求められるでしょう。針の穴を通すような繊細な作業です。
■一方で後シテはご自身と近い印象ですが、そうした場合は自然体でなさるのでしょうか。もしくは逆に苦慮するものでしょうか
光源氏という伝説上の貴公子の役ですから、色々と気を付けることも御座います。少なくとも、幕から出て幕へ帰るまで、終始美しくなければいけないと思います。
■後場の幽玄で軽やかな感じはどのように表現されるのでしょうか
源氏物語の須磨の巻で、光源氏は海辺で禊をします。その折に雨風が吹いて「かくて世は尽きぬるにや」というほどの嵐になります。キリの詞章はまさにそれを反映しているかのようで大変美麗、かつ勢いがあります。
早舞もふくめ、能とはいえ音楽であり、音に身体が呼応するのが舞踊ですから、抵抗することなく自然に身体が動けば良いと思います。勿論、充分に修練を積んだうえで、ですが。
■地謡の聞かせどころを教えてください
やはりクセでしょうか。居クセ(シテが舞わず、正中に坐したままのクセ)ですが、光源氏の半生を巻名とともに綴ったクセは本曲の中核を成しています。
■美しい詞章が並びますが、本曲でご自身が好きな詞章を教えてください
クセの後のロンギで、源氏の旧跡を改めて教えてほしいと言われ、「いずくともいさ白波のここもとは。皆そのあとと夕暮の(さあどこであろうか、言うなればすべて旧跡であるが…)」と言うところ、明言せず夢か現か、わからないような朧な情感を出しているところが面白いですね。
■今後のご活動についてお聞かせください
公演のみならず全国で普及、指導に邁進してまいります。わかりやすく、しかし本質はぶらさず、能を広めていきたいと思います
■観能される皆様に一言お願いします
栄華と遊興を極めた遊び人という印象の光源氏ですが、須磨に蟄居して侘しい生活をしていた数年間をテーマにしています。想像を膨らまして、楽しんで頂きたいと思います。
●能「野宮」の概要を教えてください
本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか
世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?
皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。
●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか
演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。
●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか
姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。
●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?
それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。
●謡の聞かせどころを教えてくださ
い
草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。
●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?
これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。
●一番の見どころはどの部分でしょうか
煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。
●観客の皆様にメッセージをお願いいたします
仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。
関連リンク
公益社団法人宝生会
公益社団法人能楽協会
サイト更新情報
●
雄資師
12月20日(土)して出演
「野宮」インタビュー
を「
雄資の部屋
」に掲載しております 是非ご一読ください!!
●
雄資師
10
月、11月の予定
を掲載しております
●
賢郎師
シテ出演
宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー
を
賢郎
の扉
に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
宝生能楽堂
http://www.hosho.or.jp/
〒113-0033
東京都文京区本郷1-5-9
TEL: 03-3811-4843
【電車】
JR 水道橋駅 東口 徒歩3分
都営三田線 水道橋駅 A1出口 徒歩1分
↓ クリックすると拡大します
問い合わせ
公演について
【宝生会】
http://www.hosho.or.jp/
電話 : 03-3811-4843
FAX : 03-3811-4591
住所 : 〒113-0033
東京都文京区本郷1-5-9
↓お稽古に興味がある方
下記よりメールで
お問い合わせ下さい
お名前
メールアドレス
本文
Powered by Flips
編 集
フォーム確認画面