「邯鄲」 あらすじと見どころ

あらすじ

蜀国の民である盧生(シテ)は、仏道によって悟りを得ようと
楚国・羊飛山の高僧を尋ねる旅に出ます。その途中、邯鄲の里
の宿に泊まることにしました。

 

盧生は、宿の女主人(アイ)から、これでまどろむと、過去未来
について悟りを開くことができるという「邯鄲の枕」を借りて
眠りにつきました。
すると、枕元に楚国から勅使(ワキ)・大臣たち(ワキツレ)の
迎えが来て、盧生は帝位につくことになります。即位後五十年間、
絢爛豪華な宮殿で栄華を極めた盧生は、千年生きるという仙境の
菊の酒を飲み、舞童たち(子方)の舞を見て感興し、自らも歓楽
のうちに舞を舞います。

 

突如、女主人の声で盧生は目覚めます。夢のなかの五十年は
粟(あわ)飯(いい)を炊く間のことであったのです。
「何事も一炊(一睡)の夢」と悟りを得た盧生は、枕を伏し拝み、
故郷へと帰っていくのでした。

見どころ

「邯鄲」は、夢と現実という、現在の私たちにも身近な素材が
用いられて舞台上で表現されているだけではなく、シテ・盧生の
演技の見どころが非常に多い作品です。

 

人の世の栄枯盛衰のはかなさや人生の無常を意味する「邯鄲の枕」
「一炊の夢」などの名称で知られた故事が、本作品の下敷きに
なっています。
この故事は、中国の伝奇小説『枕中記(ちんちゅうき)』を基にして
います。中世では、軍記物語『太平記』など多くの作品にこの
エピソードが記されているので、当時の人々にも親しみのある話
だったようです。

 

舞台上に、一疊台の上に屋根のついた大宮の作リ物が置かれますが、
これは宿の寝台から華麗な宮殿へと大胆に変わる装置です。
狭い台上で、シテ・盧生が帝になった貫禄と栄耀栄華を手に入れた
幸福に酔いしれる心情を体現した、スケールの大きな舞を舞います([楽])。
台上での舞の中で、一畳台から一瞬足をおろして辺りを見回す
「空下(そらお)リ」は、本曲のみに見られる所作です。この所作は、
盧生が夢の中から現実を垣間見ているような感を観る者に与えます。

 

なお、シテ・盧生の面は専用面「邯鄲男」がよく用いられます。
夢の始まりと終わりは、扇で枕を叩く所作で表されます。慮生の
枕もとを勅使が叩くと夢が始まり、宿の女主人が叩いて慮生を
起こすと夢が終わります。

 

夢の終わりに、シテ・盧生が一疊台の上に置いてある枕を指して
一直線に走り、飛びあがって、横たわる姿勢をとる「飛込み」の
演技は見せ場のひとつです。地謡の謡が速くなり、舞童や勅使が
切り戸から消え、シテが一疊台の上で横になるという激しい動きが
続きますが、これは、夢から覚醒する瞬間がスピード感をもって
表現されています。

 

「望み叶へて」故郷に帰る盧生が「げになにごとも一炊(一睡)の夢」
と悟るのは、現世には不滅なものなどないことを体感したからかも
しれません。

                                      (文・ 井上 愛)

舞台に寄せて

2013年6月9日(日) 「邯鄲」 に寄せて

お能の曲目中、傑作中の傑作。
ドラマ性、音楽性、演出効果上から言っても、
こんなに良くできた作品はないのでは、と思っています。

 

まずは、悩む盧生が人生に迷いを持ち、若年ゆえの苦しさ
があるという部分が出ないといけません。
そして、夢の中で皇帝になって五十年続くところ、
一千年の寿命を保つとされる酒を飲み「楽(ガク)」という
曲を舞うところ。
空間が広がっていく映像的な効果があります。
(宮殿全体を表す一畳台が、拡張していく様な世界観)

 

そして、最後夢が覚めるまで一気に持っていく音楽、舞踏の演出。
特に夢から覚めて悄然とした時の地謡との掛け合いが見事です。
静かだけどドラマチック、悟りを得て故郷へ帰っていく、
そこに人生の無常が表されています。


シテとしては、肉体的に辛い部分もあります。
橋掛りから舞台へ走り入っていき、一畳台へ一気に果断なく
行かなければなりません。


舞台に向けて思うことは、三島由紀夫が戯曲にしている様に、
この能には青年の苦悩が良く表されているので、

劇性を捉えて演じたいということです。
劇能と夢幻能の融合を表現できればと思っています。

●能「野宮」の概要を教えてください

本三番目物(鬘物)の中でも別格と言われる曲です。
晩秋の嵯峨野、野宮の旧跡を訪れた旅僧の前に榊を持った女が現れ、光源氏が六条御息所の元を訪れた往時を偲び、自分こそが御息所の亡霊と告げ、黒木の鳥居の陰に姿を消します。
僧が回向をすると御息所の亡霊が牛車に乗っている態で現れ、源氏との悲痛な別れの原因となった車争いの無念を語り、妄執からの救済を訴え万感の思いを込めて舞います。
●「野宮」が鬘物の中でも大曲と言われる所以はどういったところでしょうか

世阿弥作の井筒も傑作であるのですが、その恋情の複雑さの差もあり、曲の構成は断然野宮が上等、執心と解脱の境を彷徨う貴婦人の想いを表現するには相当の芸力が必要です。
序ノ舞に続けて破ノ舞が組み込まれているのも特別です。これによって野宮は狂女の側面を持つことになります。
●この曲を演じるとき、御息所の心情をどのように自分の中に取り込んでおられますか?

皇太子妃であった御息所が早くに夫を失い、若き源氏に出会いますが報われる恋愛ではありません。
さらに車争いの屈辱は御息所の決定的な敗北となり、斎宮となる娘に付き添い都を離れますが、この激烈な恋情の執心は終に癒される事無くこの世を去ります。
こういった物語の背景は当然ながら理解をしていないといけません。そして鎮魂されたい願いを自分に取り込まなければなりません。

●同じ六条の御息所を扱った作品でも、「葵上」が動だとすれば、「野宮」は静である印象です
 同じ人物の演じ分けに苦労された点などはありますでしょうか

演じ分けに苦労は有りません。それ程この二曲は異なります。葵上では恨みから生霊となります。この時はまだ源氏の愛を取り戻したい願いもある。野宮は彷徨う亡霊です。源氏物語では御息所は死霊となって源氏の妻たちにまたもや憑りつきますが、能では木枯らし吹く森の野宮の寂しさそのままに、御息所の荒涼とした心の風景を静かに、しかし御息所の想いは実はかなり強く描いていきます。

●「葵上」が鬼女(生霊)となる最期と対照的に、「野宮」の最期は物悲しく美しいと思うのですが、その静なる美しさの中で、舞台に緊張感を生み出すために意識されていることはありますか

姿は美しくないといけませんが、野宮は御息所が執心の苦界から解脱して救われるかが主題です。
終始緊張していないといけません。

●他の源氏物語を題材にした能(「葵上」「須磨源氏」など)と比べて、演じる難しさや魅力はどこにありますか?

それぞれに趣きも違いますし演じ方も違いますが、源氏物語を題材にした曲の中で野宮は最高傑作です。曲の構成、舞事、謡、全てが別格です。この能が上手く上演出来たら、その感動も一際と思います。

●謡の聞かせどころを教えてくださ

草葉に荒れた野宮の有様を謡う初同(最初の地謡)、娘に付き添い嵯峨へ向かう道行を謡うクセの後半、それぞれに美しい詞章と共に秋の寂寥を表現します。そして車争いを表す激しい場面から舞を挟んで最後の鳥居をめぐるクライマックス、火宅留と呼ばれる特殊な終わり方も聞きどころです。

●地謡や囃子との呼吸合わせで「野宮」ならではの難しさはありますか?

これはどの曲でも同じですが、全てのパートの気持ちが合わなければ良いものは作れません。
これだけの難曲ですから終始難しいです。

●一番の見どころはどの部分でしょうか

煩悩の世界と解脱の世界を隔てているのが黒木の鳥居です。
これを踏み越えようと足を踏み出す型があります。なかなか形にし難く厄介な型です。
しかし野宮を象徴する型といえます。最後の最後にこの見せ場が来ます。

●観客の皆様にメッセージをお願いいたします

仕舞や舞囃子でも多く上演の機会がある人気曲ですが、難解な大曲です。
40代のかなり若い時に舞いましたが、何もわかっていなかったと悔恨しています。
単なる王朝絵巻でない、死んで尚妄執に捕らわれる一人の貴婦人の心象を描ければと考えています。

関連リンク

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雄資師12月20日(土)して出演「野宮」インタビューを「雄資の部屋」に掲載しております 是非ご一読ください!!
雄資師10月、11月の予定を掲載しております
賢郎師シテ出演 宝生能楽堂3月定期公演 『須磨源氏』のインタビュー賢郎の扉に掲載しました(トップページバナークリックでもご覧頂けます)
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