■「融」と小書
-今回の「融」には大変珍しい小書(特殊演出)がついていますね
今回の「笏之舞」という小書の他にも、「遊曲」(2007年にシテを勤める)、「酌之舞」など、「融」には高度で複雑な小書が沢山あります。それぞれに名演出です。間違いなく世阿弥の代表作の一つであり、特別な曲だと言えますね。先人達がこの能に対して深い思いを持っていた事が分かります。それぞれが音楽的に粋を凝らした特殊演出です。
■「融」と小書
-今回の「融」には大変珍しい小書(特殊演出)がついていますね
今回の「笏之舞」という小書の他にも、「遊曲」(2007年にシテを勤める)、「酌之舞」など、「融」には高度で複雑な小書が沢山あります。それぞれに名演出です。間違いなく世阿弥の代表作の一つであり、特別な曲だと言えますね。先人達がこの能に対して深い思いを持っていた事が分かります。それぞれが音楽的に粋を凝らした特殊演出です。
-「笏之舞」についてお聞かせください
貴族が持つ笏(しゃく)を使用する曲はこの融、しかも笏之舞の小書が付いた時だけです。
笏を使って多く型をする訳ではありませんが、束帯姿の貴公子が笏を構え持っているだけで、相当に風情が出ます。後シテの早舞は大幅に変わります。
「翁」に“天地人”の拍子というのがあります。
舞台を三角に動いて、それぞれ天の拍子、地の拍子、人の拍子を踏むものですが、これと同じ動きが舞の序の部分にあって、それから早舞に入っていきます。
また早舞の途中に、クツロギといって、橋掛りを幕際まで行き又舞台に戻ってくるという型が入ります。全体を通して囃子の複雑で高度な手組に合わせて舞います。この「笏之舞」では、太鼓が特に重い習い(通常とは違う、特別な演奏)の曲となっています。
以前勤めた「遊曲」は40年ぶりの上演でしたが、それと同様に「笏之舞」自体もなかなか上演されない小書です。2000年以降に一度、宝生会の別会で上演されたことがありますが、今回はその時とは囃子方の流儀が違うため手組も変わりますので、一からの取り組みとなります。
■蝋燭能について
-蝋燭能とは、こちらも珍しい試みですね
電気的な照明ではなく自然光で能を観ることは、現代でも大分以前から試みられていますが、大きな能楽堂となりますと、相当な光量が必要になりますし、蝋燭だけの光でお客様にお見せするのは難しいのですが、国立能楽堂の場合は(百目蝋燭の様な)太い蝋燭を相当量設置します。
おそらく、見所からは良い雰囲気になるのではと想像します。炎の揺らめきなどによって装束や能面の陰影がいつもと違って見えるのではないでしょうか。融の大臣の恨みや執心がよりクローズアップされるかもしれませんね。
-演者の方にとって蝋燭能はいかがですか
以前、蝋燭能に地頭で出演したことがありますが、シテの視界は本当に大丈夫かと心配するほど暗かったです。
今回も実際の明かりを見てみないと分かりませんが、汐を汲む型で舞台先端まで行き舞台より下へ水桶を下す動きがあります。つま先を框の外に出さないと出来ません。それが少々心配です。
「融」は私のイメージでは、波濤に日の光が弾けている様な日中の大きな景色があったので、蠟燭能はどうかな?と思ったのですが、「笏之舞」の様な狂気じみた長い舞の「融」であれば、蝋燭能は合っているかもしれません。
■“源融”という人物を演じる
-今回の見どころをお聞かせください
ワキの「思立之出」というのも小書です。通常ワキは登場してから名乗りを謡うのですが、幕から「思い立つ心を知るべ雲を分け」と謡いながら登場する演出になります。
見どころはやはり小書の舞となるでしょう。今回の一番のメイン、見せ場です。
但し「融」は世阿弥の代表作ですし、崇高で玲瓏な名曲です。優雅、風雅さといった表面だけでなく、融の大臣という複雑な人物像(実際は亡霊)を描けなければなりません。
六条河原院の大邸宅に毎日三千人の人足が難波津から潮水を運び、海を再現して塩を焼かせ一生御遊の便りとしたというのですが、それは嵯峨天皇の皇子だった融が、藤原氏の為に皇位継承争いに敗れ、国を支配できなかった現実を受け入れられず、虚構の帝国を作ったという事だと思います。しかしこの豪邸も融大臣没後見る影無く荒廃します。
融には憤懣があると思いますよ。あまりそういう暗さというか影の部分は描かれていませんが、前シテは涙するくらい強烈に昔を懐かしみます。一方、後シテでは何かに取り憑かれたように延々と舞います。優雅や風雅を超越した執心がそこにあるのですね。
-特に注力されている点はどういったところでしょうか
「笏之舞」という複雑な舞をしっかり舞いきることが課題です。
数十年に一度出るかでないかの小書ですので、大事に正しく舞いたいです。亀井忠雄先生始め囃子方の四方ともしっかり打ち合わせをしなければなりません。また、笏はこの能でしか出ないものですので、扱いをきちんと考えなければならないと思っています。
数十年に一度出るかどうかの小書である上に、蝋燭のでの上演です
どうぞお見逃しなく、是非とも国立能楽堂にお集いください
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